mukuのきもち
 
2010年8月10日mukuは17歳でお星様になりました  悲しみが想い出に変わるまで…
 



なかなか決まらない

mukuに用意された骨壷は、あまりに小さすぎて
その後、持って来てくれたのは
白い素焼きの壷で、房の付いた袋もありませんでした

mukuパパは

こんなの嫌じゃ、他にないんか?

と、怒ったように言いました

私も同じように思ったので、mukuを納めてなかったのです

だから
あの時、Ayaママが差し出してくれた
真っ白なハンカチに包まれたままです

でも、そのままで良いわけはなく
ちゃんと気に入った容器を探さなければなりません
まだ手元に置きたいし、その先も

庭に埋めてやってもいいね

などと話しているので
気に入ったものを探そうと思います

私たちが元気なうちは、この家に住むでしょう
だから、この庭で
mukuに自然に還ってもらうのがいいのかな?
など色々と考えています

17歳まで生きてくれたのだから
老衰で見送ってやりたかった

理想と現実の差は厳しいです

そんな事くらい、この年まで生きていれば
じゅうぶん分かっているのに
mukuを使って示されるとは、
私の生きざまが、業の深さがmukuに災いしたのかと
やっぱり悔やんでいます

クッシング病は
さまざまな原因が挙げられています
脳下垂体の腫瘍だったのか
副腎皮質の腫瘍か
私には、脳の方だったと思えるのです
最後の方の、ひきつけを起こしたような症状や痙攣など
ずっと以前
癲癇の発作のような症状を起こした時に似ていました

あの時はなんだったのでしょう
数回の発作の後、ぴたりと止みました
突発性だったのかな、と勝手に解釈していましたが
その頃から、病気の種がじわじわ芽吹いていたのかもしれません


いよいよ全身症状が悪化してきたとき
先生に尋ねてみました

あと、どれくらい生きられますか?

先生ですら予想できない寿命を…

案の定、口を濁し

その子によるけど、血を吐いたら厳しいなぁ…

血を吐く?
それほ、どれぐらいの苦しみを味わうのでしょうか
今でも充分苦しんでいるというのに

愕然としました

けれど
血を吐くことなくmukuは逝きました
苦しみの極みの、その一歩手前で
神さまはmukuを救い上げてくださったのでしょうか

今でも、やはり考えてしまうのです
私の呼吸の4倍も、苦しげだったのに

先生は何も言わなかったけど

酸素を吸わせたら楽になりませんか?

と、その時にどうして思いつかなかったのでしょう

あとから、あとから
…たら、…れば
の想像が、私の頭の中で
幾通りものストーリーを作りあげるのです

苦しげな様子に、思わず

むーちゃん、もう頑張らなくていいよ
ありがと、もういいよ

と、口に出してしまったことがあります

mukuパパから

mukuが頑張ってるのに、よくそんな事が言えたな

と、呆れたように言われました
でも、怒ってはいません
泣きながら話しかけていたのを見ているからです

頑張れば頑張るほど、苦しみが続くから
それを見るのが可哀相
いや、結局は自分が辛かったのです

そんなmukuパパも
私より先に家に帰りたくない
と、言っていました

もし、自分が帰った時にmukuが倒れていたら…

はやり、辛くて耐えられないと思ったのでしょう

muku、呆れるよね

そのくせ
最期を看取ってやれなかった
と、いまだに悔やんでいるとはね

今日の最後も

ごめんね、muku

mukuのきもち、どれくらい分かってたんだろう



8月22日(日) | ペット | 管理

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