mukuのきもち
 
2010年8月10日mukuは17歳でお星様になりました  悲しみが想い出に変わるまで…
 



2012年5月1日を表示

怒涛の一週間

怒涛という表現が適切かどうか、分からないけど…

私から言えば
この1週間から10日の間の出来事は

姑が亡くなり葬儀を終えるという、人生の一大事だった

いま
長旅をして戻ってきたような
通常から、かけ離れた経験をした疲労感から
抜け出せないでいる
決して心地よい疲労感ではなく(苦笑)

まず、先月21日の土曜日
久しぶりに鳥取の境港まで
新鮮な魚や、干物などを買いに行き
帰りに、岡山の「がいせん桜」を見物し

高速の岡山インター近くまで戻ったころ
携帯が鳴った
それからが、長い1週間の始まりだった

舅が亡くなり、一人暮らしをしていた姑
たまたま、隣県から義姉(娘)が帰っていた当日

遅めの昼食後
席を立った義姉が、お茶を入れて声をかけると
返事をしないで、座ったままの姿勢で目を閉じていて
そのまま、意識も戻らず目を開けないまま
4日後、息を引き取った

満年齢で90歳、享年は92歳

孤独死しても不思議のない環境で
偶然とは言え、即、対応の出来る状況で逝ったのは
家族にとっては一番有り難いことだった

その9日前には、私も様子を見に行っており
普段どおりにお喋りして元気な様子だった

病名としては
心臓から血栓が頚動脈に飛び、脳梗塞を起こした

と言うことだけど
天寿という言葉の方が合っているのでは?と言われた

年齢を考えれば、延命措置を受けさせるのは考えもので
それは望まない、という判断をし
積極的治療は受けなかった

そして、救急救命センターから
普段のかかりつけの病院へ転院し

mukuパパと義姉は、仕事のため夫々家に戻り

23日の月曜日、私が付き添いで夜を過した
その間も、病院側が言い難そうに
亡くなった後、自宅へ連れ帰る服の用意など
少しずつ準備された方が…と、促され

自宅と病院を一人で行き来し
実家は駐車場がないので
近所の方に駐車のお願いがてら報告をし

あれやこれや
急変に備えて、着物、遺影用の写真の選択
葬儀業者への連絡

義母は一人っ子だったので
身内は少なく、長生きしたので余計に少なくなっていて
立場上、嫁の出番がフル活動

付き添いの夜は、2時間ごとに看護師さんが来られ
痰の吸引、点滴、体位の交換など
とうてい眠れるはずも無く(苦笑)

でも、看護師さんの仕事のハードさを痛感し
あれだけの仕事量なら
もっと高いお給料をもらわなきゃね…と痛感

結局、自宅へ連れ帰る全ての準備が整って
まさに病院へ戻る時、病院から急変の知らせが入り

慌てて病院へ駆けつけたものの、間に合わず
私が立会いの元、先生が来られて臨終の時間を告げられた

倒れたタイミングといい
4月30日は舅の命日なので

私の感では、舅の命日まで持たないと思うよ
と、mukuパパには告げていたけど、その通りに…

友引があったので、26日が通夜27日葬儀
初七日は葬儀の後、一緒に行ったけど
本来の初七日は30日の予定だった

もろもろ考えれば、
偶然という言葉だけじゃ考えられないね

初七日を終え、muku兄らと岡山までひとまず戻り
昨日、上のmuku兄が帰り
今日、下のmuku兄が東京へ戻る予定

明日は、また田舎へ戻り
救命センターへの病衣の返却と
治療費2病院分の支払い
葬儀業者への支払い…などなど
雑用が控えている

な、訳でブログも休んでいたけど
この程度の開きは珍しくはなかったね(笑)

あぁ~~とにかく疲れた!

普段、付き合いの少ない親戚との会話
町内会のご近所さん
顔もろくに分からず右往左往…
睡眠不足に神経を使うのが重なると辛いね

普段が普段なので(笑)



5月1日(火) | コメント(0) | ペット | 管理


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